2026年5月1日
世の中はゴールデンウィーク。大学も同様ですが、曜日ごとの授業コマ数を確保するためにゴールデンウィークの最初か最後は授業になっている大学は多いのではないかと思います。私の関係している大学も同様。私個人は関西に来て最初の一ヶ月を終えたところで、休みつつ、今後待ち受けている諸々の準備をしつつ過ごしています。
さて、「関西は〜〜で、東京とは違うよ」といった類の話をこちらに来て度々されますが、ヨーロッパとの違いに比べたらあまりに僅かな違いであるため、多くのことは気にすることなく過ごしています。ただし、一つだけ慣れないことがあります。側溝。なぜ関西では側溝が塞がれていない道が多いのでしょうか…といっても、関東にいた頃は都心に近いところが主な活動範囲だったのに対し、関西では都会度の高いエリアにほとんど行かないので、理由はこちらかもしれませんが。歩いていて落ちたら大変だし、自転車でも、自動車でも、大変なことになりそうなものですが、私の主な行動範囲に限っていえば側溝が塞がれていない道が非常に多い。ずっと関西で過ごしている方に聞くとそれが当たり前という反応…若いときに脱輪して大変だった、とい笑われながら話していました。私が車の運転を得意としていないからこそかとは思いますが、これは今のところ大きな懸念点であり、はたして当たり前と思える日はやってくるのでしょうか。
2026年4月23日
昨日は午後の授業を終えるやいなや大学を出て、東京での用事へ。今日は始発の新幹線で再び移動し、朝から授業を行う大学へ向かっています。なんとも子どものようなことを書きますが、こうして東西を駆け回ることにいい意味で忙しい大人になれたような、純粋な高揚感を覚えています。一方で、もしこれが日常になったとしたらこの高揚感は反転するだろうことは容易に想像がつき、人間の節操のなさになんとも言えない気持ちとなります。
とはいえ、特別な理由があったからこその強行軍。現代音楽の領域では知らぬ人はいない名人、低音デュオに新曲を演奏していただきました。5月にご一緒させていただく予定の村田厚生さんといい、学生時代からの憧れの諸先輩方と共に音楽ができることはとても光栄なことであり、私にとっては大きな励みです。私の創作は楽器や編成の固有性を、そのままの姿で活かすことが核にありますが、《沢》はまさにこの編成だからこその音楽となりました。決して簡単とはいえない譜面に向き合って演奏していただいた松平敬さん、橋本晋哉さんのお二人には、ただただ頭が下がる思いです。演奏会全体も、ほかの作曲家の作品を聴きながら次々とアイデアが湧いてくるインスピレーションに満ちた時間で、幸せな気持ちのまま帰途につきました。また、バリトンとチューバ(and/orセルパン)という編成で演奏会を成立させることがどれほど超人的か、改めて実感しました。
もうすぐ京都駅。新幹線乗り場にただようさまざまな種類の香水のハーモニーが、きっとまた私の中のパリに行きたい感情を駆り立てることでしょう。
2026年4月18日
4月も折り返し地点を越しました。実に多くのことがあり、想像していたあれやこれやを実際に経験することで、自分にあるものないものを分析し、これからの自分のすべき行動をはじめとした様々なことを具体的に検討することができそうです。
環境が変わったこともあり、最近、ふとした瞬間に私自身の学生時代に思いを馳せることがあります。といっても大したことを思い出すわけでもなく、いくつか思い出していたことのうちのひとつはパソコンに関すること。私が学部に入学した時代は、作曲の学生のほとんどのは手書きの楽譜で、卒業する頃にはちらほら楽譜浄書ソフトを用いた人がいたのだったと思います。私は学部2年から浄書をしていましたが、割と早めだった記憶。そんな私のパソコン歴ですが、学部入学のときに初めてMacbookを手にし、iMac、17インチのMacbook Proを経て、フランスで13.3インチのMacbook Proで学生時代を終えたはず。Macbook Proは2台とも酷使しましたが、よく頑張ってくれました。その後、2021年に今のメイン機に変わるのですが、購入頻度は私の場合大体5年前後、ということでメイン機の交代を頭の片隅に置きながら過ごしています。
2026年4月1日
先日、学生時代にお世話になった方にお会いした際「自分のためだけに本を書いている」とおっしゃっていたのを聞いて、大変感銘を受けた自分がいました。仕事に対する自己目的的、内発的な意欲というのは、おそらくは生きていく中で次第に失われるものかと思います。それ故に、この領域を強かに保持している姿勢は私にはひときわ魅力的に映りました。当然ながら、自己目的的であろうとなかろうと、外発的であろうと、普く創作には大なり小なり意義があります。しかしその一方で、誰に求められたわけでもなく、ただ自分のために行う創作には、別の種類の尊さがあるのではないかと思っています。今の時代、文章はSNSで発信するのが一般的ですが、あえて個人的なスペースで。誰かに届けるためではなく、自分のペースで、日頃感じたことを徒然なるままにここに綴っていき、私自身が少し息をつける場所にできたらと考えています。
関西に拠点を移して幾許かの時が過ぎました。転居の前を含め、年が明けてからの日々を振り返ると「整える」期間だったように思います。転居に伴う物理的なあれこれは当然のこと、何年もやりたいと思っていたけれども忙しさにかまけて放置していたことにも手をつけることができました。同時に、旧知の方々と再会する機会にも恵まれ、人の温かさを改めて身に沁みて感じる時間でもあり、こうしたつながりが自分をどれほど支えてくれているのかを実感する機会にもなりました。インプットが十分でなければ、アウトプットも充実し得ません。立ち止まる時間を恐れず、少しずつ内側を満たしていくことの重要さを再確認したようにも思います。慌ただしいのか落ち着いているのか判断がつかないような日々ではありましたが、これからの日々を有意義に過ごすための充電期間だったのでしょう。今年度は私にとっては特別なので気負いすぎず過ごしていきたいと思います。