Ecrits elsewhere
論文
等間隔的クロマティシズムによる反復進行 ―ラフマニノフ諸作品の移行部の分析を通じて― (JP)
ミクスト音楽におけるマイクロフォンの選択 (JP)
ミクスト音楽の現在の情勢 : 歴史的変遷と定義を巡って (JP)

五線紙のパンセ
第1回「矛盾、変化と拡張」(JP)
第2回「音色と空間、身体性」(JP)
第3回「作品と演奏、圧倒」(JP)

2026年4月18日
 4月も折り返し地点を越しました。実に多くのことがあり、想像していたあれやこれやを実際に経験することで、自分にあるものないものを分析し、これからの自分のすべき行動をはじめとした様々なことを具体的に検討することができそうです。
 環境が変わったこともあり、最近、ふとした瞬間に私自身の学生時代に思いを馳せることがあります。といっても大したことを思い出すわけでもなく、いくつか思い出していたことのうちのひとつはパソコンに関すること。私が学部に入学した時代は、作曲の学生のほとんどのは手書きの楽譜で、卒業する頃にはちらほら楽譜浄書ソフトを用いた人がいたのだったと思います。私は学部2年から浄書をしていましたが、割と早めだった記憶。そんな私のパソコン歴ですが、学部入学のときに初めてMacbookを手にし、iMac、17インチのMacbook Proを経て、フランスで13.3インチのMacbook Proで学生時代を終えたはず。Macbook Proは2台とも酷使しましたが、よく頑張ってくれました。その後、2021年に今のメイン機に変わるのですが、購入頻度は私の場合大体5年前後、ということでメイン機の交代を頭の片隅に置きながら過ごしています。

2026年4月1日
 先日、学生時代にお世話になった方にお会いした際「自分のためだけに本を書いている」とおっしゃっていたのを聞いて、大変感銘を受けた自分がいました。仕事に対する自己目的的、内発的な意欲というのは、おそらくは生きていく中で次第に失われるものかと思います。それ故に、この領域を強かに保持している姿勢は私にはひときわ魅力的に映りました。当然ながら、自己目的的であろうとなかろうと、外発的であろうと、普く創作には大なり小なり意義があります。しかしその一方で、誰に求められたわけでもなく、ただ自分のために行う創作には、別の種類の尊さがあるのではないかと思っています。今の時代、文章はSNSで発信するのが一般的ですが、あえて個人的なスペースで。誰かに届けるためではなく、自分のペースで、日頃感じたことを徒然なるままにここに綴っていき、私自身が少し息をつける場所にできたらと考えています。
 関西に拠点を移して幾許かの時が過ぎました。転居の前を含め、年が明けてからの日々を振り返ると「整える」期間だったように思います。転居に伴う物理的なあれこれは当然のこと、何年もやりたいと思っていたけれども忙しさにかまけて放置していたことにも手をつけることができました。同時に、旧知の方々と再会する機会にも恵まれ、人の温かさを改めて身に沁みて感じる時間でもあり、こうしたつながりが自分をどれほど支えてくれているのかを実感する機会にもなりました。インプットが十分でなければ、アウトプットも充実し得ません。立ち止まる時間を恐れず、少しずつ内側を満たしていくことの重要さを再確認したようにも思います。慌ただしいのか落ち着いているのか判断がつかないような日々ではありましたが、これからの日々を有意義に過ごすための充電期間だったのでしょう。今年度は私にとっては特別なので気負いすぎず過ごしていきたいと思います。